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2017年11月23日、24日 第4回本公演「潮時」@西条公会堂
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さて、第四回にして、初のオリジナル脚本ということで。

群青結成時から心の底で思っていたことを、
ようやく形にすることができたと思います。
脚本が完成した時だけでなく、稽古をしながら、
私のやりたいこと、感じていることはやはり変わらないと改めて感じました。

つたないながらも、過去の作品解説を振り返ってみたいと思います。

完全に蛇足かもしれないので、気になる方は続きをクリックでどうぞ。






●第一回公演「髪をかき上げる」(作:鈴江敏郎)

「私のそばにはひとがいない。だけど、馬はいて。そんなことではちっともよくない。」
というセリフがあります。
周りに人がいながらも、どうしてだかさみしく感じてしまう。
相手を強く求めているのに、決して手に入らない。
他人と生きていたら、絶対に生まれてしまう「すれちがい」
これを否定するでも、解消するでもなく、そこにあるものとして形にしよう。
これが劇団群青の原点になりました。
当時大学三年生だった私たちには、少し背伸びをした脚本でしたが、
卒業して就職して、そして人と深く知り合うようになって、
この脚本で描かれていたことを身をもって痛感しました。
セリフの一つ一つを思い出しては、胸がひりりとするのです。

●第二回公演「A・Rー芥川龍之介素描ー」(作:如月小春)

そして、その「すれちがい」の最たるものが「自らこの世を去る行為」。
絶対に絶対にしてほしくないけれど、そういう手段を択ばざるを得なかった人を、
少しでも理解したくて、苦しいながらも挑んだ脚本です。
群青史上、最も大人数で読み解いていった先に描かれていたのは、
文豪芥川の「死に様」ではなく、いかに理想を求めて書き続けたか、という「生き様」でした。
彼が最期迎えたときすがすがしい表情だったのは、
十分すぎるくらい「生きた」からだと考えています。

そして、この作品でキーになるのが「芥川の妻」そして「編集者」でした。
一番身近にいて、一番理解しているはずなのに、
芥川は彼らを残して、自らこの世を去ります。
行き急いだ側と、残される側の間には、けっして解消できない深い川があります。
それは、誰の間にもある「輪郭」のようなものかもしれません。
どんなに仲良くなっても、どんなに愛し合っても、
ぜったいにその川は、消し去ることができない。
私たちは深い川を持ったまま、他人に触れる。仲良くなりたいと思う。
私とあなたの間にあるこの輪郭のような「川」こそが、切なさの正体かもしれません。
そして、その自覚は決して悲観的なものではなく、

●第三回公演「ゴドーは待たれながら」(作:いとうせいこう)

遠距離劇団となって初の舞台は、一人芝居。
延々と約束の相手に「待たれている男」ゴドーの独り言です。
一つの存在が個人として「輪郭/川」を持ち、確立するには、
ほかの存在、すなわち「他者」が必要である。
というさっきの逆を証明してみせたような構図です。

ゴドーがゴドーとして存在するためには「約束の相手」が不可欠。
だけれど、相手のことをあれやこれや想像して怖くなって、二の足を踏む。
ずっと部屋から出られない。
怖いながらも他人を求めずにはいられない気持ちが、いたいほど現れていました。

それでも、
「いつか必ず行く それまで俺を待っていてくれ」というセリフ。
そして、最後の一言。

遠い地で暮らす人へ、
生きていようといまいと、
今日この場にはいなけれど大切な人へ、
そのまま届いてほしい約束の言葉でした。

そして、第四回公演「潮時」につながります。
(続きは、また今度!)
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